Look at Life (1965)

ジョージ・ルーカスは1944年5月14日、米国カリフォルニア州、モデストで生まれました。 ごく普通の青年(あまり目立つほうではなかったが)として育ったルーカスに、人生の転機が訪れたのは高校の卒業式の前日でした。熱狂的なカーマニアだったルーカスは、自分で改造したスポーツカーで交通事故を起こし、瀕死の重傷を負いました。長期にわたる入院生活でルーカスはレーサーになる夢を諦め、次に才能があると思っていた映像の道を志すことを決めます。

南カリフォルニア大学の映画学科に入学したルーカスは「Look at Life」や「Herbie」などの作品で早くも有能な学生監督として知られるようになりました。 中でも「THX 1138:4EB」は各賞を総なめし、ルーカスがプロの映像作家として進む道を切り開きました。このころのルーカスはゴダールなどのヌーベルバーグにも強い影響を受けていますが、彼が最も学生時代に影響を受けたのが、日本の黒澤明監督でした。後にルーカスは黒澤監督の『隠し砦の三悪人』などを土台にし、『スター・ウォーズ』の物語りを組み立てることになります。

 

大学を卒業したルーカスは、当時新人だがハリウッドを席巻していた男、フランシス・フォード・コッポラと出会い、彼の協力の下で1970年に『THX 1138』(THX 1138:4EBの長編版)で監督としてメジャー・デビューを果たします。 この作品は批評家などには高く評価されはしたものの、興行的には失敗でしました。そこでルーカスは「作るのならヒットするような明るい映画を作ろう」と考えを改めます。こうしてできあがったのが、再びコッポラと組んだ『アメリカン・グラフィティ』でした。この作品は低予算にも関わらず大ヒットし、ジョージ・ルーカスの名を世界に知らしめることとなります。

1977年、『スター・ウォーズ』の大ヒットによって興業記録を次々と塗り替え、映像作家として不動の地位を築き上げます。しかし、かねてからハリウッド流の製作システムに疑問を持っていたルーカスは、続く『帝国の逆襲』から監督業を降りてしまい、以後は製作総指揮者として活躍していくことになります。

『ジェダイの復讐』を製作するとともに「インディアナ・ジョーンズ・シリーズ」も生みだし、その後は若手の育成に励むなど裏方にまわってしまいます。とはいえ、監督業に興味がなくなったわけではなく、クレジットなしで多くの作品で第2班監督を務め、編集もこなしていました。そして1999年、ルーカスはスター・ウォーズの新作という形で監督業に復帰します。そして現在は『エピソード2』製作の真っ最中!身体だけは気をつけてほしいものです。

 
監督作品
タイトル 製作年
スター・ウォーズ エピソード3(予定) 2005
スター・ウォーズ エピソード2 2002
スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 1999
スター・ウォーズ 1977
アメリカン・グラフィティ 1973
THX-1138(劇場未公開) 1970
学生時代の監督作品
Filmmaker 1968
6-18-67 1967
Anyone Lived in a Pretty How Town 1967
The Emperor 1967
電子的迷宮/THX-1138:4EB 1967
1:42:08: A Man and His Car 1966
Freiheit 1966
Herbie 1966
Look at Life 1965