大学を卒業したルーカスは、当時新人だがハリウッドを席巻していた男、フランシス・フォード・コッポラと出会い、彼の協力の下で1970年に『THX 1138』(THX 1138:4EBの長編版)で監督としてメジャー・デビューを果たします。 この作品は批評家などには高く評価されはしたものの、興行的には失敗でしました。そこでルーカスは「作るのならヒットするような明るい映画を作ろう」と考えを改めます。こうしてできあがったのが、再びコッポラと組んだ『アメリカン・グラフィティ』でした。この作品は低予算にも関わらず大ヒットし、ジョージ・ルーカスの名を世界に知らしめることとなります。
1977年、『スター・ウォーズ』の大ヒットによって興業記録を次々と塗り替え、映像作家として不動の地位を築き上げます。しかし、かねてからハリウッド流の製作システムに疑問を持っていたルーカスは、続く『帝国の逆襲』から監督業を降りてしまい、以後は製作総指揮者として活躍していくことになります。
『ジェダイの復讐』を製作するとともに「インディアナ・ジョーンズ・シリーズ」も生みだし、その後は若手の育成に励むなど裏方にまわってしまいます。とはいえ、監督業に興味がなくなったわけではなく、クレジットなしで多くの作品で第2班監督を務め、編集もこなしていました。そして1999年、ルーカスはスター・ウォーズの新作という形で監督業に復帰します。そして現在は『エピソード2』製作の真っ最中!身体だけは気をつけてほしいものです。 |